映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』感想や考察~洗脳の脅威~

こんにちわ、すずらんです。

今日もブログをご覧いただきありがとうございます 🙂
今日は映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』感想考察です。

心の混沌が向かわせるカルト。そしてカルトが新生させる心の分裂。

まるでドキュメンタリーのように強烈に突きつけてくる問題作!

映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』

(原題: Martha Marcy May Marlene)

映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』の予告編はコチラ♪
http://youtu.be/gyUoksC9FwU

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映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』あらすじ

森の中を追跡してくる男たちをかわし、カルト教団のコミューンから脱出した20歳の女性マーサ(エリザベス・オルセン)。唯一の家族である姉のもとを訪ねる彼女だったが、姉夫婦は何も尋ねずに受け入れてくれる。美しい湖のほとりに建つ屋敷で姉夫婦と暮らし始め、安らぎを感じるようになっていくマーサ。だが、徐々にマーシー・メイという名前で呼ばれていたコミューンでの異様な日々の記憶がフラッシュバックしてくる。やがて彼女は、妄想と現実、過去と現在、さらには自分がマーサとマーシー・メイのどちらなのか判別できなくなる。
(シネマトゥデイより引用)

  映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』基本情報・キャスト・スタッフ

ジャンル:ドラマ、ミステリー
製作国:アメリカ合衆国
監督:ショーン・ダーキン
脚本:ショーン・ダーキン
アメリカ:2011年
日本:2013年
上映時間:102分

映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』出演者

マーサ:エリザベス・オルセン
パトリック:ジョン・ホークス
ルーシー:サラ・ポールソン
テッド:ヒュー・ダンシー
ワッツ:ブラディ・コーベット
マックス:クリストファー・アボット
ケイティ:マリア・ディッツィア
サラ:ジュリア・ガーナー
ゾーイ:ルイーザ・クラウゼ
etc

映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』受賞

映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』はたくさんの賞を受賞し、あらゆる映画賞にノミネートされました。
以下一部を掲載します。
LA批評家協会賞
ニュー・ジェネレーション賞受賞
インディ ペンデント・スピリッ ト賞ノミネート
主演女優賞:エリザベス・オルセン
助演男優賞:ジョン・ホークス
新人作品賞
放送映画批評家協会賞ノミネート
主演女優賞:エリザベス・オルセン
etc

映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』の 感想・考察

 カルト教団の恐ろしさを、リアリティーのある演技と映像で見事に描き、世界中にセンセーションを巻き起こした問題作、映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』。
カルト、そして洗脳という、一筋縄では語れない難問題。
なんとか私なりに紐解いてみたいと思います。

カルト、悪しき集団の言葉の脅威

 カルトいうと、小さな悪しき共産社会といったイメージを持っており、集団であることの恐ろしさを感じておりました。
しかし映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』では、集団であることの恐ろしさでは勿論のこと、集団の一人一人の心臓部にまるでチップのように埋め込まれる、”言葉”というものが与える恐ろしさを感じました。
例えば劇中、カルト集団の中でしばしば指針のように扱われる、「役割」という言葉。
人は「役割」というものに純粋な憧れをいだき、
そして、「役割」の中にに自らの救いを見出し、
やがて、「役割」にいつの間にか洗脳され、
気が付けば、「役割」に全てを支配されてしまう。
たった1つの言葉をうえつけ、従わさせ、狂わせてしまう。
信じられないほどの脅威の力。
何かに飢えていて、危うい人って世界中にきっとたくさんいるのだと思う。
この映画でいうと”愛情”というものに飢えている人。
他にも”権力”に飢えている人、”お金”に飢えている人、安定”に飢えている人‥。
飢えてるって、つまり、自分の力でどうすることもできず、外へと他へと誰かへと救いを見出そうと、必死になってしまってる状態なんだと思います。
それらを正当に助けるのではなく、その心の隙間にスルッと入り込み、言葉を巧みに操り、支配へと服従へを向かわせるカルトのおそろしさ。
そんな人間達の無残な行き先を垣間見た気がしました。
人間の心は悲しくも、いかようにもブレ、どこまでも破壊へと向かっていくものだと。

 洗脳ってそもそも一体何なのか?

 「そもそも全く洗脳されていない人なんて、誰1人としてない。」
昔、ある団体の勧誘を受けた時、断った私に向けて吐かれた捨て台詞。
「ほほーなるほどなあ。」と思いました。
そもそも教育や躾というものを洗脳といってしまえばそうだし、日本でいう、毎日の満員電車での通勤だってそう。
それらを嗅ぎ分けていかなければならない。
しかも、
誰かに頼るのではなく、たった1人である自分の力で。自分の哲学でもって。
厳しくもそんなことを感じました。
長いものに巻かれるのは楽かもしれないが、それもある種の洗脳なのだと。

エリザベス・オルセンが魅せる多様さ

 映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』でマーサ役を演じたエリザベス・オルセン。
現実逃避にカルトに逃げ込んだ、マーサ。
カルトで幸せを得、洗脳されていくマーサ。
再び姉の元へと逃げ帰る、マーサ。
社会復帰しようとするも、カルトでの洗脳が突如剥き出しになる、マーサ。
恐怖と諦めの中で再生へ向かおうとする、破壊寸前のマーサ。
いくつもの人格を、いくつもの悪魔を心に飼っている彼女を、本当に見事に演じてます。
エリザベス・オルセンはカットカットによって、まるで別人のような顔つきをするんですね。それを助長するような危うい顔立ちと体つき、そして立ち姿。
実は、このマーサの姉のルーシーを演じたサラ・ポールソンも、これまた素晴らしいです。
この妹に逃げられ、そして戻ってきた妹を何も聞かず受け入れ、最後は捨てる。
姉については長くなってしまいそうなので次の機会にじっくり考察しようと思います 🙂

物議を醸しだしたラストシーン、そして謎の原題。

 ※以下映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』ラストネタバレします。
姉に見放され、車で精神病院へと送り届けられるマーサ。
しかし、その車をつける一台の車が。カルト集団が追ってきたのか!?
不安にかられるマーサ。
そのあといよいよ何かが起きるぞ!と思ったその瞬間、ブチっと映像が切れ、エンドロールが流れる。
このラストシーンが果たして現実なのか、マーサの心が作り出してしまった幻想なのかさえも分からないまま
衝撃のラストシーンは是非ご自身で感じてみて下さいね。
更に、映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』の原題『Martha Marcy May Marlene』。
彼女の名前はMartha(マーサ)。
カルトでの呼び名はMarcy May Marlene(マーシー・メイ)。
そして、カルト内で共通でみんなが使っていた、架空のMarlene(マーリーン)という名前。
3つ目の何者でもない人格は、彼女自身を何処へ連れ出すのでしょうか。
それでは、今宵は、この辺で・・・ 🙂
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