映画『潜水服は蝶の夢を見る』感想や考察~実話が伝えるもの~

こんにちわ、すずらんです。

今日もブログをご覧いただきありがとうございます 🙂
今日は映画『潜水服は蝶の夢を見る』感想考察です。

何故実話を映画化したのか。何故実話を淡々と描いたのか。

生きる意味の真実を教えてくれるかもしれません。

映画『潜水服は蝶の夢を見る』

(原題『Le scaphandre et le papillon』)

(英題『The Diving Bell and the Butterfly』)

映画『潜水服は蝶の夢を見る』の予告編はコチラ♪
http://youtu.be/7olM7fRxEU4

映画『潜水服は蝶の夢を見る』はHuluでもご覧いただけます。

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映画『潜水服は蝶の夢を見る』のあらすじ

病室で意識を取り戻したジャン=ドミニク・ボビー、通称ジャン=ドー(マチュー・アマルリック)は、自分が倒れ、昏睡から目覚めたのだと理解する。しかし自分の言葉が誰にも伝わらず、身体がまったく動かないことに気づく。主治医は、全身が麻痺する「ロックト・インシンドローム」であると告げる。唯一動くのは左目だけだった。かつての彼は「ELLE」誌の編集者として華やかな世界で働き、女性関係も忙しく、3人の子供にも恵まれていた。ジャン=ドーは、そのころとは掛け離れた現実を、潜水服に閉じ込められたように感じた。言語療法士のアンリエット(マリー=ジョゼ・クローズ)は、左目を使ったコミュニケーションの手段を発明する。「はい」なら1回、「いいえ」なら2回瞬きをするというものだ。使用頻度の高い順に並べられたアルファベットを読み上げていき、ジャン=ドーが左目で合図する。そうして文章を作ることで、蝶が自由に舞うように、記憶と想像力で自分もどこへでも行けると気づいたジャン=ドーは、生きる気力を取り戻す。ある日、編集者のクロード(アンヌ・コンシニ)が彼を訪ねる。ジャン=ドーは倒れる前に、本を執筆する契約を結んでいた。クロードは日々、ジャン=ドーが左目の瞬きで綴る文章を記録していく。それは彼の半生であり、父の記憶や、恋人ジョゼフィーヌと行ったルルドの記憶だった。ジャン=ドーが過去を旅する間も、父が誕生日に祝いの電話を掛けてくれたり、3人の子供とその母セリーヌ(エマニュエル・セニエ)が病室を訪ねて来たりした。ジャン=ドーは改めて周囲の人々に感謝の気持ちを抱き、その思いも本に綴る。理学療法士マリー(オラツ・ロペス・ヘルメンディア)とのリハビリで首や舌も動かせるようになり、父の日には家族で海に遊びに行くことができた。ジャン=ドーは快復の希望を胸に、執筆を続けるのだった……。(Movie Walkerより引用)

映画『潜水服は蝶の夢を見る』基本情報・キャスト・スタッフ

ジャンル:ドラマ、ヒューマンドラマ

製作国:フランス、アメリカ合衆国

監督:ジュリアン・シュナーベル

原作:ジャン=ドミニック・ボービー

脚本:ロナルド・ハーウッド

音楽:ポール・カンテロン

公開

フランス、アメリカ合衆国:2007年

日本:2008年

上映時間:112分

映画『潜水服は蝶の夢を見る』出演者

ジャン=ドミニック・ボービー:マチュー・アマルリック

セリーヌ・デスムーラン:エマニュエル・セニエ

アンリエット・デュラン:マリ=ジョゼ・クローズ

クロード・マンディビル:アンヌ・コンシニ

パピノ:マックス・フォン・シドー

ルパージュ:パトリック・シュネ

マリー・ロペス:オラル・ロペス・ヘルメンディア

ジョゼフィーヌ:マリナ・ハンズ

ローラン:イザック・ド・バンコレ

ウジェニー皇后:エマ・ドゥ・コーヌ

ピエール・ルッサン:ニエル・アレストリュプ

etc

映画『潜水服は蝶の夢を見る』受賞

第60回カンヌ国際映画祭

監督賞:ジュリアン・シュナーベル、受賞

第64回ヴェネツィア国際映画祭

グッチ・グループ賞、受賞

第64回ゴールデングローブ賞

監督賞:ジュリアン・シュナーベル、受賞

外国語映画賞、受賞

他多数受賞、ノミネート。

映画『潜水服は蝶の夢を見る』の感想・考察

『潜水服は蝶の夢を見る』という小説があります。

これは世界的な雑誌『ELLE誌』の編集長ジャン=ドミニック・ボービーが、ある日突然脳溢血に襲われ、一命を取り留めたものの、全身が麻痺し、話すことも動くこともできない。

唯一動かせるのは左目のまぶたのみ。そして、このまぶたのまばたきだけで言葉を伝え、この世に残した自伝小説です。

映画『潜水服は蝶の夢を見る』はジャン=ドミニック・ボービーの生き様をまんま描いた作品です。実話です。

淡々と実話を描く意義

様々なドラマや映画やバラエティー番組やニュースなどで、まあとにかくよく取り上げられますよね。障害者の方々。

感動的な音楽を敢えて流したり、わざとらしいタレントのコメントが入ったり、彼らの苦しい姿や頑張っている姿ばかり特価して描いていたり。

わざわざ感動させるように作っている。わざわざ涙を誘うように作っているというのが、もう見え見えでバレバレ。見る度に「またこれかー・・・」とか感じて、私はひいてしまいます。

あの手この手を使っていますよね。今だにこんなことやってますよね。

まるで特別な出来事、まるで特別な人間のように障害者を映す。

映画『潜水服は蝶の夢を見る』はその真逆の描き方を辿っています。

淡々と、本当に淡々と(まあ音楽は流れますが)、ジャン=ドミニック・ボービーの人生を日常を描き、思考をありのままに映している。

劇的な盛り上がりもなく、ただただ毎日毎日の時間が経過していく様を映し出している。

特に素晴らしかったのが、ジャン=ドミニック・ボービーの驚き、絶望、怒り、希望、感動、気合、喜び、もどかしさ・・・その局面局面の感情を、心の中の言葉として、

ずーーーーーーーーーと・・・・・・・・・・・

劇中流し続けるんですよね。

彼の人生の本当のところは私達は分かりませんが、真実に近いと思います。

全身麻痺の人間に対して、ここまで徹底して寄り添う描き方をした映画って、実はなかなかないと思います。

必見です!

他の作品や番組が、いかに作りものであり、演出ばりばりのものなのか、この作品を見たらきっと分かると思います。

そういう作品や番組の全てがよくないという訳ではありません。でもあまりにも多過ぎると感じるし、そういう傾向性が強すぎるなあと私は思います。

共感して欲しいとか、感動を誘うような映画じゃないです。「事実はこうです。そして、真実はこうですよ」ってことをただ伝えているだけ。

結果、感動が自分の心から湧き上がってきます。それが映画です。

差別の底に在るもの

わざわざ感動を呼ぶように、敢えて過剰に描こうとする事自体が、差別生んでいるのだと私は思います。

差別の底には「安心」ってものがあると思うんです。

この人はこんなにも不幸なんだから、私はまだましだ。

この人はこんなにも苦しんでいるんだから、私はまだましだ。

この人はこんなにも満たされないんだから、私はまだましだ。

この人はこんなにも不自由なんだから、私はまだましだ。

この人はこんなにも可哀そうなんだから、私はまだましだ。

こんな人間の心の声、誰しも思い当たるところがあると思います。私の中にも勿論あります。

そう、どこかで「安心したい」んですよね。人と他者を比べることによって。

でもそれが結果、差別を生むのだと思います。

まずそもそも、当の本人が本当にそう思っているかどうかなんて分からないし。

隣の芝生をみて一喜一憂することのみじめさを、この作品は気付かせてくれるかもしれません。

中学生の時のことを今でもはっきり覚えています。

それは学校授業の一環で障害者施設を訪ねた時のこと。

何か大きな出来事があったわけではありません、ただそこに集う、障害を持った様々な年齢の方々とお話をしただけでした。

その時私が感じたのは、「なあんだおんなじじゃん!」。ちょっと衝撃でした。

いきなり知らない人達が大勢やってきたら、緊張する人もいるし、異性が来たらテンション上がる人もいるし、暖かく迎えてくれる人もいるし、不機嫌な人もいるし、人見知りする人もいるし、気を使ってくれる人もいるし・・・。

普段知らない人と初めて会話する感覚と、全く一緒だったんですね。でも「強くてたくましい人多いなーっ!」とは思いましたね。

特別であるということ。育ちや教育やマスコミなどによって・・・もしかしたらどこかで刷り込まれているのかもしれません。

映画『潜水服は蝶の夢を見る』のまとめ

障害があろうかなかろうが、人種がどうであれ、時代がどうであれ、年齢がいくつであれ、性別がどっちであれ、今幸せであれ不幸であれ、

状況がどうであっても、心の孤独というものは、誰もが持っていると思います。

その中で、本当の本当に生きるとはどういうことなのか。

どこかで追い求めている存在、それが人間なのだと思います。

映画『潜水服は蝶の夢を見る』は、ジャン=ドミニック・ボービーの人生の通して、その真実にじわじわと近づいていきます。

是非ご覧になってみて下さいね。その真実のカケラを見出すことができるかもしれません。

映画『潜水服は蝶の夢を見る』のおまけ

ジャン=ドミニック・ボービーは小説『潜水服は蝶の夢を見る』が出版された2日後、突然亡くなりました。

「人間はこの世に何かを残すが為に生きている。」

これは私なりの真実です。

それでは、今宵は、この辺で・・・ 🙂