こんにちわ、すずらんです。
今日もブログをご覧いただきありがとうございます 🙂
神は沈黙しているのか!?沈黙していないのか!?
『沈黙』というタイトルに惑わされることなく
絶対に最後まで見るべき映画です!
辛口の感想、考察となります。
目次
『沈黙 -サイレンス-』
(原題『Silence』)
映画『沈黙-サイレンス-』予告編はコチラ♪
http://youtu.be/0cUtOR-DL1A
映画『沈黙-サイレンス-』あらすじ
舞台は江戸時代初期。
ある日、ロドリゴ神父(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ神父(アダム・ドライヴァー)の元に、各々の師であるフェレイラ神父(リーアム・ニーソン)が「日本で棄教した!」
という知らせを受けるところから物語が始まります。
「一体何故・・・?いやそんなはずは絶対にない!」
フェレイラ神父を探しに日本へ行こうと決意する2人の神父。
途中、マカオでキチジロー(窪塚洋介)という頼りない日本人を案内人として紹介してもらい、
長崎に降り立つ2人。
そこには想像を絶するほどに、徹底的に隠れキリシタンを弾圧する国、日本があった。
映画『沈黙-サイレンス-』基本情報・キャスト・スタッフ
ジャンル:歴史ドラマ
製作国:アメリカ合衆国
原作:遠藤周作
脚本:ジェイ・コックス、マーティン・スコセッシ
監督:マーティン・スコセッシ
撮影:ロドリゴ・プリエ
PG-12指定
映画『沈黙-サイレンス-』出演者
セバスチャン・ロドリゴ神父:アンドリュー・ガーフィールド
フランシス・ガルペ神父:アダム・ドライヴァー
通辞:浅野忠信
キチジロー:窪塚洋介
井上筑後守:イッセー尾形
モキチ:塚本晋也
モニカ:小松菜奈
ジュアン:加瀬亮
イチゾウ:笈田ヨシ
クリストヴァン・フェレイラ神父:リーアム・ニーソン
ヴァリニャーノ院長:キーラン・ハインズ
etc
映画『沈黙-サイレンス-』感想・考察
深く考察しないと恐く伝わってしまうテーマ
映画『沈黙-サイレンス-』は信じた人々の、苦しみや悲しみや救いのなさや不幸の面ばかりが、
とことん描かれるような映画の作り方になっています。
映画全編に渡り、残酷な弾圧のシーンが極端に多い為、この作品を、ただ表面的に追って見てしまうと、非常に恐いなと思いました。
宗派をとわず私達が信仰と思っている、
神様仏様を純粋に信じることや、世の為人の為に尽くすことや、
素晴らしい教えを広めていくことや、何かの為誰かの為に祈ることや、
信仰でなくとも何かを心から信じることに対し、
見る人によっては、いとも簡単に恐怖という感情が生まれてしまうのではないかと懸念されます。
信仰を貫いた者も、信仰を捨てた者も、信仰を捨て切れなかった者も、
つまり、何かを信じたら辛いよって伝わってしまう気がします。
確かに現代、宗教の違いによる争いが世界じゅうで絶えないことは事実ですが、
信じること自体が、その原因になっている訳ではないですよね。
私は1人1人の信じ方が原因であると思ってます。
「信じるものは救われる。」
ではなくて
「信じるものは救われないじゃん。」
って否定的に伝わってしまうかもしれないですよね。
うーん・・・・・・
なぜ、この現代に生きる者として、
キリシタン達の幸せ、喜び、楽しみ、たくましさ、
そして、笑顔を全く排除した描き方をしてしまったのでしょうか。
でも深く考察すると悟りが・・・?
しかし、映画『沈黙-サイレンス-』は深く深く考察していくと、素晴らしい面がまるで悟りのように見えてきます。
ラスト近くからこの映画がぐっとよくなるんです!
なので、もし映画館に行ったら是非ラストまで見て下さいね。
動画やDVDも是非最後までご覧下さい。
映画が長くて途中飽きそうでも、拷問シーンばかりでウってなっても、途中トイレに立ってしまっても、最後の最後まで見ることをおすすめします。
苦しみの選択を迫られた時、神からロドリゴ神父へ降り注ぐ言葉の数々は、とても素晴らしいものがあります。
そして、言葉が彼を救っていきます。(言葉の内容については内緒にしておきますね。)
この映画は『沈黙』というタイトルが似つかわしくないんじゃないかと思うくらいです!
きっと神はけっして沈黙なんかしていなかった。いつでも一緒にいた。
そのことにロドリゴ神父自身がやっと気付いて、
自分と神とが一体になった、奇跡の瞬間が訪れたんじゃないかなって、
そして、この言葉をきっかけに、ロドリゴ神父がぐっと自己変革を成して、
彼の心が、まるで悟りの境地のような所に行く様が、とても美しいです。
この映画を見た1人1人が、自分なりにでもじっくりと深く、考え続けていくことが、この映画の価値を高めていく気がします。
他が素晴らしいだけに浮いてしまった女優
イッセー尾形だけでなく、浅野忠信、窪塚洋介、塚本晋也、加瀬亮、片桐はいり・・・
日本人俳優のとことん役に没頭する姿には夢中になりました。
それだけに小松菜奈が惜しかったですね。
個人的には大好きな、個性的で将来性のある女優さんですし、必死に演技に立ち向かっているのはとても伝わるのですが、
江戸の時代の隠れキリシタンには見えず、平成の世の可愛い一人の女の子として画面から浮いてしまっているのが残念です。
でも、これは彼女に原因があるわけではない気もします。
例えば、モニカ達が踏み絵を無理矢理踏ませられようとして踏めないという、遠くから撮影しているシーンがあります。
このシーンにおいて、彼女を扱うお役人さんが、他のキリシタンに比べて、少し遠慮がちに彼女を扱っているのが、残念なことに遠くからもばれてしまっています。
映画の画面はデカイ!ですからね。
きっと「あ、この方・・・小松菜奈さんだから・・・」
とそっと触っているのでしょうか。(コラー!確かに可愛いでしょうが・・・)
集中がプツンと切れてしまって、ほんと残念でした。
映画『沈黙-サイレンス-』まとめ
今回の映画『沈黙-サイレンス-』は酷評の感想・考察にはなってしまいましたが、
弾圧の惨さそのものに感情を持っていかれず、冷静に深くこの映画を見ることができた時、この映画がまるで違う作品に見えてくるかもしれません。
是非、自分なりの考察をしてみて下さいね。
それでは、今宵は、この辺で・・・ 🙂